赤塚・石ノ森の衝撃

手塚治虫をおびやかす才能たち

手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子不二雄につづいて「トキワ荘」に入居してきたのが、赤塚不二夫と石ノ森章太郎です。

ストーリー漫画の「手塚賞」と、ギャグ漫画の「赤塚賞」があるように、手塚治虫という先輩に追いついたか、あるいは漫画家としてある領域では完全に手塚治虫を超えてしまったのが赤塚不二夫であるといえます。

石ノ森章太郎と手塚治虫のヒリヒリするような関係性も、「トキワ荘」のアナザーサイドとしておさえておきたいところです。

石ノ森章太郎は、手塚治虫に憧れていたのですが、手塚治虫は石ノ森章太郎の才能を恐れてライバル視していたわけです。

手塚治虫の息子であるヴィジュアリストの手塚眞が『仮面ライダー』のアニメを楽しみにしていることを、手塚が笑いながら許していたものの、握りしめた拳は血が滲むほどだった、というような逸話は、真偽はともかく、手塚治虫の石ノ森章太郎へのライバル意識がうかがえようというものです。

こういった確執のような部分は『まんが道』には書かれていませんから、このような「トキワ荘」のエピソードについて調べることも、「トキワ荘」という文化を楽しむ醍醐味でもあります。

「トキワ荘」と引き寄せの法則

赤塚不二夫と石ノ森章太郎のコンビは、藤子不二雄というコンビとは違った彩りを「トキワ荘」の物語に加えました。

石ノ森章太郎が主催していた『墨汁一滴』という肉筆同人誌の時代から石ノ森章太郎と赤塚不二夫は交流があったのですが、その二人が漫画家としてそれぞれ別の土地から上京を考えているタイミングで「トキワ荘」の部屋に空きが出た、というのは、よくできすぎた話にも感じられますが、歴史の不思議と必然を感じさせもします。

寺田ヒロオ、藤子不二雄による「小野寺章太郎(石ノ森章太郎)と赤塚不二夫の二人をぜひともトキワ荘に入居させたい」という気持ちが強かったのも確かです。

すさまじい馬力で漫画を描いていた石ノ森章太郎のことはわかりませんが、こと赤塚不二夫に関しては、「トキワ荘」に入居し、寺田ヒロオたちに出会わなければ、漫画家としての道は断念していたかもしれませんから、やはり「トキワ荘」という場所には、何か人智を超えた特別な力が働いているのでしょう。

豪華作家陣たちの饗宴

「トキワ荘」の物語には、様々な漫画家が登場しますが、やはり、赤塚不二夫と石ノ森章太郎の入居によって、「スター勢揃い」という様相を呈してきます。

赤塚不二夫と石ノ森章太郎の入居以降に、「トキワ荘」の漫画家たちが、編集者から逃げた手塚治虫の原稿を協力して描きあげるエピソードがありますが、締め切り直前の手塚治虫による神がかり的な入稿によって、結果的にボツになったその原稿は、まさに「トキワ荘」という場所と時代が生んだ「玉稿」だったのではないでしょうか。