『まんが道』とトキワ荘

FでもなくAでもない時代

『まんが道』を読んだ人間にとって、「トキワ荘」という場所は、藤子不二雄、つまり、藤本弘と我孫子素雄という二人の漫画家を主人公にした青春物語の舞台として知られています。

「トキワ荘」という場所が、漫画愛好家にとってほとんど神話的な聖地として認識されるようになったのは、やはり、藤子不二雄A(安孫子素雄)によって『まんが道』で描かれた「トキワ荘」の友情の物語が、あまりにも美しく、魅力的な人間模様のアラベスクだったからです。

藤子・F・不二雄の目線からの「トキワ荘」というのは、あまり多くのエピソードが語られてはいませんが、藤子・F・不二雄が『ドラえもん』という「子供のための漫画」で大ヒットを飛ばしたことは、「トキワ荘」と寺田ヒロオの退場とともに一度は去っていった「少年漫画」の大いなる復活、という一つの恩返しでもあったでしょう。

日本人なら知らないものはいない『ドラえもん』も、源流をたどっていけば、「トキワ荘」での友情と青春抜きには考えられないものなのです。

「トキワ荘」とフィクション

『まんが道』に描かれるエピソードはどこまでが本当なのか、という問題があります。

それが「漫画」である以上、どれほどドキュメンタリータッチで描かれていても、それは「フィクション」であることから逃れられません。

「トキワ荘」というのは、実在した建物ですし、そこに漫画家が住んでいたというのも「事実」ではあるのですが、私たちは「トキワ荘」については、「漫画」という「フィクション」を通して知ることが多く、「トキワ荘」のイメージのほとんどは「フィクション」をベースにして形成されています。

『まんが道』に登場する藤子不二雄のペンネームは、手塚治虫に憧れる満賀道雄(A)と才野茂(F)だから、「足塚茂道」という名前になっています。

他の登場人物がすべて実名であるにも関わらず、藤子不二雄のみが、それぞれキャラクター名を持ち、『まんが道』の世界でのみ使われる「足塚茂道」を名乗っている、というところが、『まんが道』の面白いところです。

『まんが道』が描かれることで存在が知られるようになった「トキワ荘」は、「フィクション」によって語られた「謎」をはらみつづけてもいるのです。

「トキワ荘」を伝説に

手塚治虫に紹介された「漫画家の先輩」である寺田ヒロオが「トキワ荘」に住んでいた、ということは、漫画家の夢に踏み込むための最後の勇気を藤子不二雄の二人に与えたのだと思います。

また、「トキワ荘」で過ごした時間と経験は、彼らにとって大きな「糧」であったことも間違いないでしょう。

藤子不二雄が『まんが道』という形で、自らの漫画家としての出発地点である「トキワ荘」を、「漫画」によって特権的で伝説的な場所に変えたのは、「トキワ荘」で過ごした青春時代への最大の返答なのかもしれません。